日本語教師体験談(中国山東省烟台市)

世界の日本語教師体験談

<応募のきっかけ>

 烟台にある大学で勉強をしていて、気候がいい・人が優しい・食事がおいしい・街がいい……むしろ気に入らない部分がほとんどなく、どうしてもここで生活をしたいという気持ちが高まった結果、知り合いの先生に就職先の相談をしたら見つけてくれたという経緯です。貿易会社の人材派遣部門だったのですが、主任は出身大学の大先輩、同僚にもちらほら同窓生……といった完全にホームのような体制で新卒社会人一年目が始まりました。

 日本語教師の資格は、大学の養成コースを修了して取得しました。なので卒業して本当にすぐ、一か月後には教師生活が始まりました。

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(会社からすぐの山の上にある蓬莱閣。未だになんなのか不明)

<教師生活一年目、初日からわからないことだらけ!>

 同僚たちの前で自己紹介を終え、先輩教師の授業へ見学に行きました。どの授業もわたしには到底できない! と叫び出したくなるような、魅力的なものばかりに見えました。早速とても不安になり、ちょうど同時期に赴任した先生に弱音を吐く日々。四月末に行ったものの、清明節のお休みがすぐありましたので、五月に入ってからスタートでした。

 そしていよいよ教壇に立つ日がやってきました。朝から緊張と不安と楽しみとで、わくわくどきどきしながら担任の先生に連れられて教室へ。

 教育センターの五階にある教室に足を踏み入れた途端、その教室にいた二十人の目が一斉にわたしを見た光景が、今でもはっきり、学生の席順と一緒に記憶に刻まれています。そのクラスはまだ授業が始まったばかり、五十音からスタートでした。五十音の発音、簡単な挨拶、教室で使うことばを練習していくのですが、頭の中は大パニック、どんな言い方をしたら学生は理解するんだろう、とそればかりを考えていました。

 実習でやったようには当然いかず、壁に当たっては工夫しての繰り返し。

 人材派遣部門の教育センターですので、およそ三か月から長くても半年、日本語の初級教育を受けてすぐ日本へ行ってしまいます。次から次へと新しいクラスが開講され、始まった初日に放り込まれることもあれば、三か月経ってから担当する場合もありました。

 短いスパンで同じ課を違うクラスで担当する、というのは、教師一年生のわたしにとってはとてもいい環境でした。早い段階で、学生やクラスのカラーに応じた授業の変化や対応が必要だということ、アイスブレイクの重要さなどがわかってきたからです。

 教科書を研究して、手持ちの生教材を駆使して、とにかく授業の中で試行錯誤する日々はあっという間に過ぎていきました。

<学生に助けてもらって成り立っている>

 人材派遣のための教育センターですので、ほとんどの学生が既婚者子持ち、出稼ぎに行きたいという人々。まだ大学出たてのわたしなどよりよほど社会経験と人生経験が豊富な大人のお兄さまお姉さまばかりで、わたしと話をするときはたどたどしくとも、アドバイスはしっかり経験に基づいたもの。

 ある日、わたしの目が開いたというか、突然に気付きました。

 彼らがしっかり理解してくれようとするから、わたしの授業が成り立つのだ、ということに。わたしだけが頑張って空回りしても、学生のためにはなりません。相手とやり取りをしながら「双方向の授業」を行う必要がある、ということに。もしかしたら、他の先生方はそのことを当然理解してスタートするのかもしれません。わたしは、開始後二週間ほどでようやく発見……。それからは学生ひとりひとりとのやり取りを大切にしようと思い、教案をがちがちに作らず、ある程度の項目だけを決めて、あとは流れるままに進行する授業スタイルに変化しました。

 落ち着いたお兄さまお姉さまたちに見守られて? 助けられて? ひよっこがようやく歩き出したのかもしれません。2013年に担当した学生たちとは、今でも連絡を取り合っています。課程を修了してからもう7年、今でも先生先生と慕ってくれる姿を見ると、自然と原点に返っていくので気持ちが落ち着きます。

<教育センターは行事が盛りだくさん!>

 夏祭り、合唱祭、体操コンテスト、黒板アートコンテスト、スピーチコンテスト、運動会……年間通して色々な行事があります。わたしたち外国人教師も舞台で歌を歌ったり、一言あいさつをしたり、見守ったり、行進したりと楽しく参加しています。学生たちも普段の勉強と両立して練習した成果を十分に発揮し、とても賑やかに時間が過ぎていきます。

 その日ばかりは解放されて、クラスメイトたちと楽しく一日を過ごしている様子がとても微笑ましく思えました。

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 また、学生たちの課程修了時期が近付くと、餃子パーティが開催されることがしょっちゅうありました。各クラスの料理自慢が取り仕切り、買い出しから準備、作成、盛り付けなどすべてを学生だけでこなします。担任の先生なども参加して、本当に楽しい時間です。

 出来上がった餃子はまさに山のように多く、ほかにおかずも作って、職員室に差し入れされると先生たちは喜んで食べていました。作る場所は、教育センターの中に設置された日本風キッチン。そこでついでに、徹底した掃除のやり方なども身に着けます。パーティ終了後は衛生担当の先生が厳しくチェック。正しく清潔にされているかを徹底的に調べていました。

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<住みやすい! 烟台市>

 烟台市は海沿いに街が形成されているので、どこへ行くにも海岸線を見ながらバスに乗ります。空気がきれいで、冬になると少し風が強く、よく雪が降るのですがそこまでたくさん積もることはありません。夏も爽やかな暑さで、他の土地の人は避暑のためにやってくる場合が多いです。なので、夏になると非常に人が多くなり、ますます活気が出ます。

 烟台市と言えばりんごとさくらんぼ、というほど果物にも恵まれており、非常に安くおいしい果物をたくさん食べることができます。ほかにも新鮮な海鮮を楽しむことができ、特に夏場の屋台にあるイカ焼きは最高です。それからこれは山東省临沂の食べ物ですが、烟台市内でもよく見かける煎饼! 一度食べると病みつきです。

 街の中も非常にきれいで、昔々の租借地だった名残からか西洋風の建物なども散見されます。長い歴史を持つ建物もあって、時代時代に想いを馳せることができます。

 そして、人々が非常に親切です。どれくらい親切かと言うと、一度財布を落としたことがあるのですが、なんと中身も外見も無事で手元に戻ってきました。バスの中でも気軽に声を掛けてくれたりと、朗らかな人が多いイメージです。日中間の関係が悪くなった時も、それからも、一度も嫌な思いをしたことはありません。ただ、山東訛りというきつい訛りがありますので、聞き取れるようになるには少し時間が必要かもしれません……。

<中国で教師をやるということ>

 中国は九月十日が『教師節』といって、教師に感謝する祝日です。そのような祝日があるくらい、中国で教師というのは尊敬されている存在です。学生たちも非常に礼儀正しく、どんなに親しくなっても尊敬の思いを崩すことはありません。2013年に教えた学生たちが未だに慕ってくれるので、たった三か月しか一緒に勉強していないのに、どうして? と尋ねたことがあります。すると、ひとりの学生が「一日为师,终身为父」という言葉を送ってくれました。これは「弟子は師匠を、息子が父親に対するのと同じように一生尊敬しなければならない」という意味の文章です。そしてその学生は続けて「この気持ちがわたしたちの中にあるからですけど、それだけでなく先生はわたしたちを尊重して親切に、熱心に教えてくれました。そのような先生は一生尊敬します」と言ってくれました。

 ここに、教師としてどうあるべきかが集約されているような気がします。そして、教師は学生たちにそう思ってもらえるよう、努力を積み重ね続けていく必要があるのでしょう。

<日本語教師は楽しい>

 大学や大学院を修了してすぐになってもいいし、社会経験をどこかで積んでからでもいい、それが日本語教師という仕事だと思います。とにかくその人の性格とキャラクター、どう教えるかということが重要になる仕事なので、特に「これができなければならない」といったような要件はないと思います。もちろん日本語教育知識があることは大前提ですが、教室でどう動くかは現場に出てみないとわからないですし、臨機応変に対応していかなければならない部分も数多くあります。

 学生に日本語をより多く理解してもらい、わたしたちは教育方法をより多く身に着けていく。そういう姿勢が大切なのだと思います。時には学生が壁にぶつかることもあります。教師もあります。それを乗り越えたときの爽快感、教えた言葉が学生から自然に発せられるようになった瞬間。これらは得難いほどの喜びをもたらしてくれます。  日進月歩、自分と他者を成長させつつ大好きな街で大好きな仕事ができる。これは日本語教師だからこその醍醐味で

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