日本語教師体験談(中国浙江省寧波市)

◇応募のきっかけ

少人数制の授業に興味があると知人に話していたところ、寧波の学校で手が足りていないと誘われ応募しました。

◇多岐にわたる学生層

中国全土に分校を持つ語学学校で、勤務地はある程度希望にそってもらえます。上海などの都会を希望する人が多いようで、それ以外の勤務地を選択した場合は、住宅補助も出ました。

学生層は多岐にわたり、年齢層は就学前の子どもから社会人まで、学習目的も、親に習い事をするように言われたから、日本のアニメが好きだから、仕事先で日本語が必要だから、など様々でした。

1回の授業の学生数は4人まででしたが、クラスは固定されておらず、学生が自分の時間の空いている時間に、進度の合う授業を探して予約する、という形式でした。授業によっては4人の学生と教師が、全員初対面、なんてこともありました。

教務室

◇日本人はみんな、日本文化のエキスパート?

主な授業内容は語学でしたが、様々な日本文化を楽しく学ぶ授業や、日本に行った際に気をつける礼儀作法、ビジネスマナー講座などもありました。

文化の授業は、語学学校に通っている学生だけでなく、誰でも参加できるもので、新規学生勧誘のためのデモ授業も兼ねていました。そのため、座学の時間より体験する時間を長くとって、楽しい雰囲気での授業を主任からは求められていました。

自分の国の文化なのに、詳しくは知らないものもあり、日本がどういう国なのか、どんな文化を培ってきたのか、学ぶいいきっかけになりました。

中国人の主任からしたら、日本人なら日本の文化には全てにおいて知識が豊富で、教えられるレベルだと思われていたようで、任される授業は、日本料理、生け花、裁縫、和服の着付け、茶道、武道など様々で、授業によっては、教師の自分より学生のほうが詳しい、なんてことも!

生け花の授業で、なんとか付け焼き刃の知識で教えているときに、日本で生け花を習った学生がいたときは、少し焦ってしまいました。

それでも、やはり自分の国の文化とは違うものを、実際に体験する、というのはとても楽しかったようです。

針と糸なんて初めて持ったと言いながらちりめん細工を作ったり、中国の餡子とは違うと言いながら和菓子を作ったり、和服を着ると髪型も変えた方がいいかなと考えてみたり、本当にこの日本料理が中国のスーパーに売っている材料で作れるの?自分も家で作ってみるとレシピを聞いてきたり。

学生たちも、付き添いで来ていた親御さんたちも、いつも楽しそうで、準備が報われる瞬間でした。

生け花の授業

◇語学は必要?

私の勤務先の学校は日本語で日本語をおしえる直説法だったので、中国語は必要ありませんでした。ただ、同じ系列の語学学校でも、勤務先によっては間接法で授業を行っている学校もあったようで、別の学校の学生が帰省時に数回、私の勤務先での授業を受けた際は、中国語の一切ない授業に戸惑っていました。

この学校に来た当初の私は、中国語で簡単な意思疎通はかろうじてできるけれど、日常会話はほとんどできませんでした。休日に中国語教室に通い、簡単な日常会話はできるようになりましたが、勤務先の主任から、中国語は全く話せないふりをしてほしいと指示があり、そのようにしていました。

仕事では中国語は使わないけれど、自分の生活のためには中国語を使えたほうが楽しい、と数年生活をしてみて思いました。

◇学生の成長が喜びであり、励み

入校してくる学生の日本語レベルも様々で、日常会話はある程度できる学生もいれば、平仮名も知らない学生もいました。

日本語をあまり話せないレベルの学生は、授業はなんとか頑張って受けるのですが、廊下ですれ違う時などは、うまく話せないのではにかんで何も言わなかったり、中国語で挨拶したりしていました。ですが、授業が進むにつれて、話せるようになり、学生自身もそれが嬉しいようで、職員室に来てまで、話にくる学生も多々いました。

はじめは、こんにちは、しか言えなかったような学生が、テーマにそって自分の意見を述べる授業で、言葉につまりながらもしっかりと意見を述べているのを見ると、数週間、数ヶ月で人はこんなに成長するんだな、と驚かされ、それが、授業の準備をしたり、日本語教育について学び直したり、中国語を学んだりする上で、自分の励みにもなっていました。

◇大変なこと

授業の進みが全員同じではなく、学生が空いている時間の授業を選択する形だったので、形容詞をまだ学んでいない学生が、形容詞過去形の授業を取ってしまうなど、その学生の進度に合っていない授業を行うことも度々ありました。

受付の職員の方に、授業の取り方などで相談もしましたが、時間の空いたときに授業を入れなければいけないから、と言われ、改善はされず、もどかしかったです。

◇休日は寧波生活満喫

初めは学校に紹介されたアパートを借りていましたが、日当たりが悪かったので、インターネットでアパートを探し、窓が大きなアパートに引っ越しました。

近くには大きな公園があり、大きな窓からよく眺めていました。

中国では公園に行くと、日本でいうラジオ体操のような広場ダンスをしている中高年の女性たちを多くみかけますが、寧波の公園では、中国の弦楽器の二胡を演奏しながら歌っている年配の方もたくさんいます。

二胡を演奏している人の横で歌う人。その近くで広場ダンスをする人。それを見ながら散歩する人。寧波は上海から高速鉄道で2時間ほどの距離の町ですが、都会すぎず、田舎すぎず、のどかな暮らしやすい町です。

のどかな町に住む人なちもまた、のどかな方たちが多く、アパートの下のコンビニに夕飯を買いに行くと、コンビニを経営している夫婦に、まだ夕飯を食べていないなら一緒に食べようと誘ってもらい、よく家庭料理をご馳走になっていました。

人によっては中国料理は辛いというイメージがあるかもしれませんが、中国は広いので、地域によって料理の種類、味が違います。学生に聞いた話では、寧波料理の味付けは薄味が多く、日本人の好みに似ているそうです。

恥ずかしいことに、私は寧波という地名を聞いても、どんな町か印象になかったのですが、寧波の人たちに言われて驚いたことがあります。日本人が昔、初めて中国に来た時に訪れた町は、寧波なのだと。

それを言われてから調べました。学校で教科書にのっていた遣唐使。その遣唐使が中国大陸をめざし、初めに寄港したのが、寧波港だったそうです。

日本人は寧波のことを知らないのか、と残念そうに言われ、本当に申し訳なくなりました。私が勉強不足で知らなかったせいで、その人からしたら、日本人は、寧波と日本の繋がりを知らないのだと思ってしまいます。自分が住む国のこと、町のこと、学ぼうと思いました。

◇正解を探して日々勉強

日本語教師をしている時、日々、何が正解なのか、考えていました。自分の授業の方法、文法の教え方、学生に急に質問された際の答え方、学生から相談された際の返答、主任から難しい提案をされた際の対応、全て、今の自分ができる最適なものを選んでいましたが、本当にあれでよかったのか、もっとよくできたのではないか、と考えていました。

そうやって、もっとよくしようと考える日々は、今でも自分の糧になっています。

そして、日本語教師をしていく上で、素敵な同僚たちに出会えました。自分だけでは、考えが詰まってしまったときは、その人たちと相談すると、自分では思いつかなかったことを聞けたり、はたまた、自分と同じ悩みを聞けたり。 日本語教師をしていなかったら行かなかったであろう町で生活できたこと、出会えなかったであろう、学生たちや、同僚に会えたことは私の人生の宝です。

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