きっかけ
定年退職したら海外で暮らしたいと思っていた私は、在職中に日本語教師の資格を取得しました。そして、日本語を教えられるところを探していたところ、東欧を中心に日本語教師を派遣している、ICEA(International Cross-cultulal Exchange Asoociation)という民間団体に出会いました。
このICEAに、ブルガリアにあるVarna Free University(ヴァルナ自由大学)から日本語教師の派遣要請があり、私が赴任することになりました。
Varna Free Universityはブルガリアで一番最初にできた私立大学です。国際関係学部、建築学部、法学部、デザイン&アート学部、経済学部からなり、各学部に多彩な学科がある総合大学です。その中の国際関係学部外国語科に、初めて日本語講座が開設されることになったのでした。
大学外観
授業内容
ブルガリアの中でも、日本語学部のあるソフィア大学などと異なり、Varna Free Universityでは、あまり日本語や日本について情報がなかったようです。その分、日本語に対する興味は高く、赴任してみると、学生のクラスのほかに各学部ごとの教職員のクラスも設置されていました。日本語とはどんな言語なのかということに興味があったようで、ほぼ全員が日本語を学習するのは初めてでした。
授業風景
そんな状態だったので、とにかく、ひらがなを覚えてもらおうと苦心したのですが、なかなか覚えられませんでした。聞いてみると、「ひらがなは文字には見えない、図形にしか見えない」とのことでした。
希望があって習字の授業をしたときに、そのことがとてもよくわかりました。手本を逆さまのまま見てその通りに書こうとする人、デザイン科の学生にいたってはデザイン作品になっていました。
習字
苦労したこと
授業で苦労したのは、キリル文字です。ブルカリアはキリル文字を使っています。当初は五十音の読み方にアルファベットを使っていたのですが、キリル文字では、例えば、「さ」はCa、「な」はHAと表記します。また、Sがありません。なので「は」にHAと読みを振ると「な」と読んでしまうのです。「酒」はCAKEになります。英語を理解している学生も多かったのですが、やはり、混乱する学生もありました。
これは結局、私がキリル文字を覚えることで解決しました。キリル文字は覚えてしまえばローマ字読みと同じなので読み方に関しては、楽です。また、キリル文字による五十音表を入手することもできたので、後半は読み方を書く時はキリル文字を使いました。
現地の言語を話せるのが一番ですが、ブルガリア語はなかなかに難しい言語なので、習得に時間がかかります。私は大学の留学生のためのブルガリア語クラスに参加させてもらいました。これはとても役に立ちました。また、こちらがブルガリア語を少しずつでも覚えていくと、日本語クラスの学生にも刺激になります。
住環境
住んでいたのは大学の寮です。寮といっても別棟にあるのではなく、教職員の部屋や教室が並ぶ廊下のその続きにありました。ホテルと言った方が的確な感じです。平日は毎日、係の人が掃除とベッドメーキングをしてくれます。キッチンはありません。私は自分で料理をする方ではないので、あまり不都合はありませんでした。ただ、おにぎりやカレーなどの日本の食べ物を体験させてあげられなかったことは残念でした。
部屋
この部屋の最大の魅力は眺望でした。窓の外には素晴らしい黒海の眺めが広がります。毎日この景色をながめて過ごせたのは本当によかったです。
部屋からの風景
休日の小旅行
Varna Free Universityは、ヴァルナ市内からバスで30分ほどのビーチリゾートにあります。海岸線を散歩したりもしましたが、休日はヴァルナ市内に出かけることが多かったです。
ローマの大浴場跡
ヴァルナはブルガリア第3の都市で、近郊にゴールデン・サンズというブルガリア屈指のビーチリゾートがある観光都市です。市内にはローマ時代の遺跡や博物館などもたくさんあります。しかも徒歩で行ける圏内なので街歩きを楽しみました。
大聖堂
また、オペラ劇場をはじめとして、イベントホールもいくつかあり、オペラ、ミュージカル、演劇、コンサートなど、毎日、何かしらの公演がどこかで開かれています。私はオペラ劇場によく行きました。安い席だと10レヴァ(700円)くらいで観ることができます。
オペラ劇場
また、ヴァルナマラソンやヴァルナカーニバルなどのイベントも多く、現地在住の日本人たちと出かけました。ヴァルナには医科大学があり、ここに入学している日本人学生もいます。ヴァルナ在住の日本人は10人前後です。何人かとは集まってお茶をしたり。食事をしたりしました。私がヴァルナマラソンに出たときには応援に来てくれました。
マラソン
ブルガリアのグルメ
ブルガリアの食べ物は美味しかったです。もちろん、ヨーグルトは料理にふんだんに使われています。好きだったのは、焼いたズッキーニにヨーグルトソースをかけて食べるものでした。夏の暑い盛りにたべるとさっぱりします。黒海に面した街なので魚介類も豊富です。アジなども普通に焼き魚として食べます。一番好きだったのは、白チーズです。そのまま食べても美味しいのですが、「ショプスカサラダ」という白チーズをふんだんに使ったサラダが大好きでした。
大学で日本語を教えるのも楽しかったですが、こんな風に街や文化、食べ物などを知ることも楽しかったです。
焼いたズッキーニ
ショプスカサラダ
日本語教師の楽しさ
海外で日本語を教えるというのは、何物にも代えられない経験です。そして、自分を通して日本語や日本文化が伝わっていくという矜持もあります。日本語の授業を通して、外国の人はこんな考え方をするのだというような異文化理解も深まります。そして、現地の人たちとの交流など、財産もたくさん得ることができます。
大学の前に小さなスーパーがあります。食料品や日用品はここで買っていました。ある日、レジで、顔見知りになった男の定員さんが「ブルガリア語を覚えたか?」ときいてきました。買ったものを指して「これはブルガリア語で何という?」というやりとりをしていたのですが、そのうちに「これは日本語ではなんというのか?」ときいてきました。日本語に関心を持ってくれたことがとてもうれしかったです。
また、大学の担当者である国際学部の学部長が私を受け入れたことで、「日本にとても興味がわいた。日本に旅行する計画をしている。」と話してくれました。
私は教師歴が浅いので、受講生たちに満足のいく授業ができたかについては、いささか心元ないです。しかし、私がこの地に出向き、ここで日本語を教えたことで関心や興味を持ってくれたのであれば、十分役割が果たせたのではないかと思っています。
これから海外で日本語教師を目指すみなさんへ
これから海外で日本語を教えたいという人にもぜひ、この感激を味わってもらえたらと思います。ただし、場所によっては、日本では簡単に手に入るものが現地にはなかったり、日本とは異なるシステムだったりすることもあります。そんなときに不満を持つのではなく、ない中でどのように工夫するかなどを楽しむことも必要だと思います。さいわい、今はネットでいろいろな教材が手に入ります。要は自分次第です。また、日本の伝統文化はもちろんのこと、サブカルチャーなどについて知識を増やしていくことも授業で役に立つと思います。
毎年、3月3日はブルガリアの「解放記念日」です。露土戦争でロシア・ブルガリア連合軍が勝利して、500年続いたオスマン帝国の支配からブルガリアが解放された日です。何人ものブルガリア人から、この日はブルガリアにとってはとても大切な日なのだ、ということを聞きました。
解放記念日
この記念日当日に露土戦争の激戦地となったシプカ村の峠にある「自由の碑」を訪れる一泊二日の旅行が大学主催で催行され、私も参加しました。当日はブルガリア国旗を掲げた大勢の人たちが「自由の碑」を訪れます。その大勢の人たちに囲まれて、私はブルガリアについて理屈でなく、肌身で理解できたような気がしました。
こんな経験ができるのも、現地で教える日本語教師ならではです。