日本語教師体験談(中国山東省烟台市)

日本語教師になるには

<中国山東省で二度目の日本語教師体験!>

2011年中国の東北部で初めての日本語教師体験を終えてから一年半後、2013年の五月、私はふたたび日本語教師として働く機会を得ました。知人から中国の山東省烟台というところで日本語教を募集しているという話を聞き、さっそく連絡し面接を受けました。

幸いな事に当時働いていた地元青森の会社の社長、同僚も私が中国で再チャレンジすることを応援してくれ、またネット上でできる仕事の一部は私が中国へ行ったあとも部分的に引き継げることになりました。こんなにありがたい話はありません、私はすぐに烟台行きの準備に取り掛かりました。

再び中国へ…

<特別な教育環境>

 前回、中国の長春での仕事の時は大学での日本語教師でした。しかし今回の勤務先はうって変わってとても特別な場所でした。最短で三か月程度、猛スピードで日本語を学んだあと、日本へ出稼ぎ労働にいく中国人のための日本語教育です。「中国人の技能実習生」といえば時折ニュース等で耳にすることがあると思います。山東省の各農村部から応募してきた20-30代の中国人学生に日本ですぐに働けるよう日本語教育を施します。大学生と変わらない若者から、家庭をもった30代後半の男女まで様々。家庭をきりもりする生活力のある逞しくて、頼りがいのある学生たちです。田舎に幼子を残して来た学生も少なくなく、一度日本に出稼ぎに行けば、2、3年は帰って来られない、つまり可愛い盛りの我が子と離れ離れになるのも覚悟の、そんな固い決意のもとに集まる青年たちばかりです。2020年の今では事情が少し違いますが、2013年当時、中国の農村の暮らしからみれば日本に働きに行くのはとても効率のいい現金収入でした。みな日本で数年間働き、そのあと国に帰って、故郷に家を建てるのだとか。とにかくただ日本のアニメや文化に興味があって日本語を学ぶ学生とはわけが違います。まさに真剣そのもの。親戚中から借金をしてこの出稼ぎの事前教育プログラムに申し込んだ学生もいます。すべては家族のため、こんな理由で日本語を学ぶ学生もいるのです。

<厳しさは宝塚音楽学校並み!?>

日本の宝塚音楽学校と言えば、宝塚のスターを目指すスターの卵たちが通う非常に厳しいことで有名な学校です。廊下の角を90度に曲がったり、すれ違うすべての先輩に挨拶をしなければならない(先輩が電車の中でも!)とか、窓のサンまでチリ一つなくなるまでそれはそれは丁寧に掃除する、、等、厳しい規則がたくさんあることで有名です。この宝塚音楽学校を彷彿とさせるぐらい、私の新しい勤務場所の教育は特別なものでした。

驚いたことは、勉強以外にも日本式マナーな礼儀作法等をとてもきびしく教育するということ。教室はいつもピカピカに掃除され、学生たちの机の上も整然としています。筆入れを置く向きまでそろえたり、寮の布団も毎朝ホテルのようにきちんと角をつけてきっちり畳みます。日本に行ってから困らないよう、また労働先でうまくやっていけるよう、徹底的に生活マナーや礼儀作法を教育します。挨拶から言葉遣いまで、上下関係を意識した日本語を教えます。先生にむかってお礼を言うときはかならず“ありがとう+ございます”、先生に対して「バイバイ」等フレンドリーな言葉は使わない、状況に応じたお辞儀の種類、会釈の徹底などなど、30代半ばのそれぞれ家庭を持つような学生たちが常にピリリと緊張感のある面持ちで日々勉強していました。

<最短三か月で日本語をマスター>

 まったく日本語を知らない状態からたった三か月あまりで日本語をマスターして、日本の生活労働に差し支えないよう特訓する、これがここの日本語教育の大前提です。学生たちは規律正しい生活の中でみっちり日本語を学んでいきます。かれらは日本に留学に行くわけでも、旅行に行くわけでもありません。即戦力として日本に着いてすぐに働き始めなければならないのです。それなので、私の一年弱の赴任期間はつねに出会いと別れの繰り返し。新しい学生がやってきたかと思うと、あいうえおから教え、あれよあれよという間にもう彼らが日本へ旅立つ日がやってきます。それも複数クラスがあるので、それぞれタイミングが違っていて、やっと仲良くなったと思ったらもうお別れ…の繰り返しでした。

このような短いスパーンで学生が入れ替わるのは初めてで、クラスも多かったので、このクラスはこの進度、あのクラスはここまで教えた…と、メモをとるのに必死でした。教師ならば誰しも授業の中で使える小話、ネタ、おもしろい話題がないかと常にアンテナを貼っていると思いますが、うっかりもう話した話をタブって同じ学生にしないよう、授業中にどんな息抜きの話をしたかまでメモを取っていました。それほど担当するクラスが多く、やっと顔と名前を覚えたところでいつも送り出すその日がやってくる、、、の繰り返しでした。日本語を教えられる時間が限られているとなれば、一コマたりとも無駄にはできません。限られた授業数の中でできるだけ彼らが日本に行って困らないよう実践的な日本語を教え、練習させ、覚えさせ、慣れさせる。前回大学で教えていた時のような日本が大好きな大学生に対する授業とはまったく違うことを意識しながら教案を考え、準備する日々でした。書き言葉より、話し言葉、目上の人に対する言葉、挨拶の徹底。しかしいつも厳しく辛い勉強では日本語が嫌いになってしまします。たまには面白い話をしたり、クラスの中でミニゲームや発表会、会話タイム設けてリラックスした雰囲気の中で息抜きをしたりもしました。

お揃いの制服に身を包みニコニコ笑顔の学生たち

<「命令形」「禁止形」がなぜ必要?>

とりわけ印象深かったのは、「命令形」「禁止形」を教える必要があると知った時のこと。もともと「命令形」「禁止形」は日本語の4級レベルの時に習うものですが、ここの学生たちにどうして「命令形」「禁止形」が必要か、、それはかれらが派遣された職場によっては、建築業界、塗装、大工、林業など、指示をきかなくてはならない「親方」の言葉はかならずしも丁寧な言い回しとは限らないからでした。労働先の親方、上司等が、「それをとれ!」「やれ!」「持って来い」「早くしろ!」「もたもたするな!」「危ない!どけ!」等、決して教科書の中の『です・ます形』とは似ても似つかぬこれらの言葉を彼らに言った時、聞いて理解できる必要があったのです。この事実を知った時、なんとも言えない気持ちになったものでした。確かに危険をともなう工場などの労働現場では丁寧な言葉遣いをしていられません、悪気はないにせよ、荒っぽい言葉であることも十分考えられます。こんな環境にも耐え、たくましく働かなくてはならない彼らを思うと申し訳ないような、やるせない気持ちになったものでした。それと同時に日本にいってから彼らが困ることがないよう、全力で日本語を教えなくてはと強く決意しました。

<イベントではみんな大はしゃぎ!!>

普段は厳しい躾の中で生活・勉強する彼らですが、イベント時はうってかわって思い切りはじけます。日本語の歌の発表会、日本語スピーチ大会、文化祭など、各種イベント時の出し物の練習、リハーサルも全力です。ふだんはにかみ笑顔の学生もばっちり衣装をそろえ、メイクもし、本番に備えます。面白いのは先生たちも先生たちの出し物があったり、学生と一緒になって参加したりするところ。いくら家族のための出稼ぎが目的とはいってもやはり日本文化が好きな学生は多く、日本の流行りの歌や、人気アニメ主題歌など、さすがに学生たちはよく知っています。歌や踊り、イベントでの発表を通して日本語を楽しく学んでいく、この点は大学生もここのセンターの学生も変わらないなと思いました。夏の夕涼みイベントでは私をふくめた三人の日本人教師も劇や踊り等の出し物に参加し、とてもよい思い出ができました。

<山東省烟台市、潮風の心地よい沿岸都市>

山東省というと青島(チンタオ)ビールの、青島はよく知られていますが、烟台(エンタイ)はそこまで日本では知名度がありません。ちょうど山東半島の下側が青島だとすると煙台は上側に位置します。ここで生活を初めてみて、すぐにこの煙台という場所が大好きになりました。なぜかというと、私の故郷青森と風土も気候も食べ物も共通点がたくさんあったのです。四季がはっきりとわかれ、冬は雪が降る。夏は過ごしやすく、一年を通して快適な気候です。また沿岸部のため、空気汚染とは無縁です。その当時から北京などのPM2.5や黄砂の被害が騒がれていましたが、ここ烟台市にかぎっては本当に気持ちのいい青空が続き、スモッグがある日は数えるほどでした。沿岸部だけあって、海産物も豊富!海鮮料理ももちろん山ほどあります。私の地元の郷土料理「イカのごろ煮(イカとイカのワタの煮物)」とまったく同じ料理があることを知った時には驚きました。気候や地理条件が似通えば、食文化も似てくるものなんだと感心したものでした。

<餃子!餃子!餃子!>

そして食文化。日本語教師として海外にり赴いたならば、現地の食べ物を吟味するのも大切な?任務のうちの一つです。(私個人の場合ですが)中国イコール餃子、これは日本人ならだれでも持っているイメージだと思いますが、実は中国と言っても広大な面積があり、どの地方でも餃子を頻繁に食べるわけではありません。主食のメインが米のところもあれば、面が多いところ、マントウ(餡なしの肉まんのようなもの)、さまざまです。しかしここ、山東省はまさしく餃子、マントウ、粉物をよく食べる土地たっだのです。教育センターの食堂に朝から各種並ぶマントウ、街中はコンビニの数より多そうな餃子屋、男子なら一食に大きなマントウを三つも四つもぺろりとたいらげます。また餃子を食べるときは、生のニンニクと生の葱をそのままガリガリとかじりながら餃子を食べます!!これは他の土地の中国人もたじろぐ大胆さで、本当に独特なものでした。私もチャレンジしましたが、生のにんにく丸かじりはさすがに胃がギブアップでした。

 学校の中にも日本の働き先の寮の自炊室を想定した調理室があり、公共のキッチンをいかにきれいに使い、後片付けするかなどの教育もありました。その調理室を使ってたびたび餃子づくりも行われました。みんなもちろん皮から作る餃子など朝飯前!腕を振るう学生たちを見ては感心したものでした。本当に彼らはお揃いの制服に身を包み、「学生」をしているけれど、バックには家族、家庭があり、まだ独身の学生でもそれぞれに家族からの期待を背をってここに来ているんだなと、しみじみ感じたものでした。

<可能性を信じ続ける仕事、日本語教師>

例えば今日本語教育を学んでいて、模擬授業をしてあまりうまく行かなかったり、今すでに新米の日本語教師と奮闘している人のなかで、挫折を味わい、私は本当にこの仕事が向いているんだろうか、私の教え方で本当に学生のためになっているんだろうか、と思い悩むことがあると思います。

でも授業がうまくいかなかったり、思い描いていた授業とまるでかけはなれていたり、または先輩上司からなにか言われることがあったとしても、そのせいで落ち込んだり、日本語教師をやめようと思う必要はまったくないと思います。“まだダメな部分がある”「から」“まだ伸びることができる”のです。はじめから上手に授業できる先生はいません、みんな試行錯誤を繰り返し、がっかりしたり、落ち込んだり、恥ずかしい思いをしたりしながら、日本語教師として毎授業毎授業成長していけるのです。自分の日本語教師としての可能性は無限だと信じられる先生はきっといい先生になれるとおもいます。

 学生も一緒で、わたしは語学は昔からダメだから、、、とか英単語も覚えられなかったから、日本語の単語もきっと無理、とはじめから自分はこうだ、と決めつけると本当にそれ以上その枠の外へはいけません。英語では失敗したけど、日本語ならできるかも!クラスで一番単語を覚えるのが遅いけど、時間がかかるのは私の個性だ、焦る必要はない。発音が変だと笑われてしまったけど、それなら他の部分でカバーしよう、、。など、すべてにおいて、自分で自分を批判せず、つねに自分こそ自分の最大の応援者であること。どんなときも日本語を勉強する目的を忘れず、一歩一歩自分で自分を励まし進んでゆける学生が最後にかならず日本語をマスターすることができると思います。

教師も、学生もそれぞれ自分の「可能性」を信じ、信頼し合い、勉強する楽しさ、学ぶ楽しさ、成長する楽しさを感じて、お互い切磋琢磨でき、そんな関係こそ理想的な教師と学生の関係だと思っています。

 何を聞いても完璧に答えられ、どんな落ちこぼれも瞬く間に成績アップさせられるようなベテラン教師を目指す必要はありません。またそうでないと嘆く必要もありません。毎日、毎授業、自分が何か学べたか、学生にどんな新しい学びを与えられたか、そこだけに注目して、うまくできた時はよく自分を褒め、ダメだったときもそれを受け止め、学びの材料とする。そんな繰り返しこそ日本語教師の歩むべき道だと思います。

<烟台での仕事を終えて>

煙台での仕事を終えて、帰国した私は、この先もずっと中国で日本語教師としてやっていこうと、揺るぎない決心がありました。それだけ日本語教師という仕事は奥が深く、生涯を通してやり抜きたい、ずっと追及していきたいと思わせるものがあったからです。もともと、子供の時から国語の成績は悪くはなかったものの、日本語という「言語」にそれほど関心を持ったことがなくこれまできました。まして、文学好きでもなくたいして本も読まないようなタイプでした。そんな私が言語を教えるプロを目指すことになろうとは本当に思いがけないことでした。煙台での仕事を終えて間もなく、日本語教師を募集するインターネット掲示板で、また新たな土地での募集を見つけ、半年後また新天地へと赴くことになります。それこそ現在の広東省深セン市です。2014年に深センの高校へ赴任してから、今すでに六年がたとうとしています。日本語教師初挑戦の中国東北部、長春、二回目の挑戦山東省煙台、そして現在に至ります。毎回、新たな環境でそれぞれ学びがあり私を日本語教師として十分に成長させてくれる“課題”があります。日本語教師として経験を積みながら、生活面では新天地での海外生活を満喫。休みの日には旅行へでかけて息抜きしたりします。中国語も自然と上達し今では中国語半分、日本語半分で授業をすることがおおくなりました。また新人の日本語の先生に指導することも多くなりました。これからの10年も、これまでの10年以上に実りあるものにしていきたいと思います。私と縁のあった学生一人一人のよき応援者であり続け、これから出会う未来の学生にもっとよい教師であれるよう成長し続けていきたいと思います。

煙台市(えんたい-し、中国語:烟台市、英語:Yantai)は中華人民共和国山東省に位置する地級市。山東半島東部に位置する港湾都市である。山東半島の北海岸を占め渤海湾に面し、東は威海に、南と西は青島にそれぞれ接する。

山東省最大の漁港であり、なおかつ最初期に対外経済開放された沿岸都市の一つで、産業都市としても急発展している。現在は環境のよさ、景観のよさ、投資環境のよさが中国でも指折りと評価されている。海岸線に沿って広がる砂浜や断崖は、観光地として全中国から人が集まる。

かつて西洋人にはチーフー(Chefoo)の名で知られたが、これは伝統的に煙台の行政中心であった市の東寄りにある「芝罘」(チーフー、Zhifu)という陸繋島に由来する。今日の「煙台」という名は明の洪武帝の治世だった1398年(洪武31年)に初出する。この年、倭寇対策のために奇山北麓に城が築かれ、その北の山に倭寇襲撃時に警報の狼煙を上げる塔が建設された。これが簡単に「煙台」とよばれるようになった。

2015年に中国LCC大手春秋航空により、愛知県常滑市の中部国際空港と煙台市を結ぶ定期路線が新規開設された。その他、大阪府の関西国際空港、福岡県の福岡空港、静岡県の富士山静岡空港とも直行便が運行されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%99%E5%8F%B0%E5%B8%82
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