日本語教師体験談 インド マイソール市

『世界での日本語教師体験談』         

私は2017年8月から2019年9月まで、約2年間インドにて日本語教師として働きました。
そのときのお話をしたいと思います。

応募の経緯、きっかけ、探した方法

もともと日本語教師を目指したのは、将来的に海外に移住したいと思っていたからです。
ただ養成講座の先生から、仕事に慣れないうちに海外に行くのは大変だと言われ、養成講座修了後は都内の日本語学校で講師をしておりました。
そんなある日、養成講座を受講していた専門学校から『海外インターンシプの案内』がありました。
対象国は、台湾、インドネシア、タイそしてインドでした。
インド以外の国は旅行で訪れたことがあったので、おそらく今後も旅行で行くことはないだろうと思われたインド研修に参加いたしました。

インドでは、現地の方と結婚した日本人女性の経営する日本語学校で研修を受けました。
インド人の学生は皆とても真面目で、仕事で必要に迫られてと朝8時から2時間日本語の授業を受け、その後出勤するという学生や土日の集中講義に参加する学生たちが多く見られました。

当時私が日本で教えていたクラスは9割がベトナム人で、それも日本語を勉強したいという気持ちもなく、アルバイトをするために留学生VISAを取得してきたような学生たち。時給の良い深夜のアルバイトで疲れ果て、日中学校には寝に来ているような状態で、空しく感じていました。

それに引き換えインド人の学生たちはみんな熱心に目をキラキラさせながら授業を受けていたので、こういう人たちに日本語を教えたい!という思いが強くなりました。インターンシップから帰国後、早速日本語教師の求人サイトで海外の情報をチェックしたところ、タイミングよく一社インドの会社の求人を見つけたので、即応募しとんとん拍子に話が決まり、インターンシップから4か月後にはインドで教壇に立つことになりました。

学校紹介、仕事内容

実際私が働いたのは、日本語学校ではなくIT関係の企業です。
その会社では、日本の企業からのITサポート依頼が多くあったため、
大卒の新入社員や中途入社の社員に入社と同時に日本語教育を実施し、N4合格までを目標に就業間内で毎日2時間ずつ授業を行いました。

私が担当していたのは、
N5クラス⇒その年の7月入社の日本語初心者の新入社員。
N5リターンクラス⇒前年以前入社の社員で、N5未取得の者。
N4クラス⇒前年以前入社の社員で、N5取得済みでN4を目指す者
の3クラスを一人で一日2時間ずつ授業を行いました。
毎日一人で3クラス回すのは一見大変なように感じますが、引き継ぎもないため学生たちの理解度に合わせ自分のペースで授業を進めていけるのは非常によかったです。

この会社はインド内で、本社と3つの支社の4事業所があり、各支社にそれぞれ日本人の日本語の先生がおりましたが、全く交流はなく、本社のインド人のN2を保持している教務主任から、授業の進捗状況や授業態度等の相談をしながら、進めていきました。

現地の言語は必要か?

面接時に、副社長からは『英語と日本語ができれば大丈夫』と言われましたが、私が赴任した南インドの中心部Bangaloreから離れたマイソールという町では、英語を話せる人は少なく、店の看板やメニュー、町の標識等すべてカンナダ語という現地語のみ。字体もアルファベットではなくプレッツェルのような丸まった文字。推測すらつきません。
買い物はN4クラスの学生に通訳を頼んでいました。

大きなショッピングモールでは英語が通じましたが、インド人の英語はヒングリッシュ(ヒンディー語と英語の融合したもの)と呼ばれ、訛りが非常に強く、またオリジナルの単語(印製英語)も多く、最初のうちはかなり苦労しました。

こんなところよかった。

 マイソールは歴史的に古い町ですが、観光都市なのできれいに整備されており、徒歩圏に宮殿や寺院などあり、ふらっと散歩しても楽しめる町でした。
またインドの中でも治安もよい方なので、一人で行動しても安全でした。
人々もフレンドリーで日本人が珍しいのか?簡単な英語ではなしかけてきたり、子供たちがついてきたりしたのも楽しい思い出です。
交通機関としてuberが発達していたので、スマホの位置情報で自分の場所と行きたい場所をチェックすると、希望の時間にタクシーが来てくれるというサービスがあったので、少し遠いショッピングモールに一人で行くこともできました。

また物価が安く、菓子パンが1つ20ルピー(約35円)程度で買えたり、野菜は市場で安く買えたりするほか、たまにイベントの際に露店が出るとアクセサリーも50ルピー程度で買えたので、買い物が楽しかったです。

苦労したこと

やはり言語の問題が大きく、バスは行き先が読めず、一人で乗ることはできませんでした。
またBangalore空港まで、高速バスで4時間かかるので、一時帰国の際は大変でした。
また、インド人は呑気なのか家電の修理を頼んでもなかなか来てくれず、冷蔵庫が3週間使えなかったときは困りました。

宗教上の理由でベジタリアンの人が多く、肉や卵が手に入りにくかったのも肉食の私としてはつらかったです。

休日の過ごし方

週末は学生たちがいろいろ誘ってくれ、寺院等を観光したり、学生たちの部屋に行って手料理をごちそうになったりしました。

インド(マイソール)のグルメ情報

よく食べられるのは、ドーサ、プーリ、チャパティという小麦粉をベースにした主食をサンバルやチャツネと呼ばれるソースと一緒にいただきます。
サンバルは薄いスープカレーのようなものです。

民族料理としてはミールスと呼ばれるもので、一つのトレー(本来はバナナの葉)にカレーやサンバル、ライス、チャパティなどが一緒に盛られ、それを全部手で混ぜながら食べるというものです。
ヤシの木が町中にたくさんあり、おじさんが木を揺らし実を落として、フキ?のような植物をストロー代わりにして飲みます。

生のココナッツ

そんな野性的な反面、KFCもドミノピザもあります。
KFCは日本と異なり辛いチキンです。南インドは米食の人が多いので、おかゆにチキンを乗せたricebowlというメニューもあります。

ドミノピザ


マクドナルドにはベジマックというハンバーグの代わりに、野菜コロッケが挟んであるものがありました。
NONーVegのメニューでもインド人は牛肉を食べないので、マクドナルドの店内には「当店ではビーフは使用していません」という断り書きがあり、ハンバーグの代わりにフライドチキンが挟んであります。
またビッグマックの代わりにマハラジャマックというバンズの間にフライドチキンが2枚挟まれたものがありました。

これから日本語教師を目指すみんなへ

日本語教師はとてもやりがいのある仕事です。
日本国内で留学生に教えるというのももちろん楽しいですが、やはり異国の地で日本に思いを馳せ頑張って勉強している学生には生の日本人と触れ合うことが重要だと考えます。海外での生活は大変ですが、決して無駄にはならないので、勇気とやる気のある方は一度海外の学校で働いてみることをお勧めします。

インドの古都マイスール

マイスール (Mysuru, カンナダ語: ಮೈಸೂರು)、はインド南部カルナータカ州で2番目の規模を持つ都市。 カルナータカ州の州都ベンガルールから南西146kmの位置にある。かつてはマイソール王国及びマイソール藩王国の首都として知られた。

インドの伝統工業地帯のひとつであり、絹サリー、白檀、香油、象牙などを産する。 都市南部のチャームンディーの丘、およびその頂上にあるチャームンディーシュワリー寺院はヒンドゥー教徒の巡礼地としても名高い。

2011年の国勢調査によれば、マイスール市の総人口は約90万人であり、カルナータカ州で2番目に人口の多い都市である

観光事業がマイスールの主要産業である一方、2000年代にIT関連産業が成長したことにより、マイスール市はベンガルールに次いでカルナータカ州におけるソフトウェア輸出で第2位となる飛躍を遂げた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%AB
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