釜山で日本語教師 その場かぎりの付き合いではない仕事

始めまして、今回は韓国釜山での日本語教師の体験を書きたいと思います。

釜山といえば名前を知っている方も多いと思いますが、大韓民国(韓国)の南東部に位置し、人口はソウルに次ぐ第2位の港町です。古くから日本と韓国(朝鮮半島)を結ぶ交通の要として昔から栄えてきた港町で、現在でも貿易の会社が多くあります。

海外で日本語教師をしようと思ったきっかけ

私が日本語教師として働く場所として釜山を選んだ理由は、自分の地元からの交通の便が良かったと言う点でした。韓国以外も数か国検討しましたが、やはり旅行と異なり長期的滞在となる場合、冠婚葬祭のみならず、突発的に短期間帰国しなければならないこともあると考え、また両親とも相談し交通の便が良い釜山に行くことに決めました。

仕事を探した方法

行き先は韓国釜山に決めた私が次に行ったことは「学校選び」です。日本のインターネット交流サイトを利用し、日本に住む韓国人留学生数人に「韓国で日本語教師を目指しています。釜山で有名な日本語学校を教えてほしい」とコンタクトを取りました。そして数名から教えてもらった学校で重複して出てきた学校名をリストアップし最終的には1校に絞りました。そして「海外日本語教師求人サイト」から、その学校の最近の求人情報を探し出し、直接履歴書と自己紹介文をメールで送りました。たまたま退職予定の先生がいらっしゃり、メール送信後トントン拍子で面接に来てほしいと連絡をもらい、急いで模擬授業の用意し2週間後には面接に釜山に初めて降り立ちました。面接と模擬授業は1時間半ほどで終わり、次の日は釜山観光をし帰国、帰国後1週間ほどで採用連絡をいただきました。そこからビザ取得、引っ越し先を決めに釜山へ2度目の渡航など怒濤の2ヶ月をすごし、面接から3ヶ月以内には私は日本語教師として教壇に立っていました。

学校の様子

私が働いていた学校は「パゴダ語学院」という語学学校で、釜山だけでも数校ありました。基本的には大学生からを受け入れ、授業はシフトによって毎月異なっていましたが、朝は主に出勤前の社会人が多く7時代から授業スタート、夜は9時過ぎまで授業はありました。そして金曜の授業が終わった後は最後のクラスの生徒さんたちとカフェへや、お酒を飲みに行くことが多かったです。本当に韓国の方はパワフルで仕事も、勉強も飲むこともすべてを楽しんでいるように感じました。

現地の言葉は必要?

さてさて私が韓国に決めた理由は「交通の便」と初めに話した通り、私は面接に行く段階で知っている韓国語が「カムサハムニダ(ありがとうございます)」「アンニョンハセヨ(こんにちは)」「マシッソヨ(おいしいです)」くらいでした。韓国語は困らなかった?と良く聞かれますが、仕事面では全く困りませんでした。日本学科には文法を教える韓国人先生が数人いて、もちろん日本語はネイティブレベルですし、同じ語学学院には英語学科もあったので学校内では日本語または英語、事務スタッフなどとのとの会話で困った時は生徒が通訳してくれたりしていました。もちろん住み始めて数ヶ月後からは、少しずつ韓国語の勉強を始め、私が本などを見ていると「分からないことがあったら聞いて」と、他の先生や掃除のおばちゃんなどが気さくに教師室で話しかけてくれ、語学学校に通うことなくカタコトの会話は1年ほどで出来るようになっていました。しかし釜山にいて困ることは「方言」の問題です。こればかりは慣れるしか方法はなかったですね。ちなみに現在の私の韓国語は韓国の友人によると「釜山なまり」が入っているそうです。

休日の過ごし方

授業は基本的には月曜から金曜まででしたので週末は授業に慣れてきてからは、色んな観光地へ行っていました。釜山には韓国のマチュピチュとして有名な「甘川文化村」という場所がありますが、少し市内から足を延ばして「海東龍宮寺」という海沿いに建てられたお寺がお勧めです。

これから日本語教師を目指すみなさんへ

きっとこの記事を読んでいるみなさんは、これから日本語教師を目指される方が多いと思います。日本語教師は本当にその場かぎりの付き合いではない、素晴らしい仕事だと思っています。今は私は韓国を離れていますが、未だに教え子からは連絡があり、日本旅行に来たときには一緒に食事や観光をしたりしています。常に勉強しなければならない職業ですが夢や希望に向けて頑張る生徒を前にすると疲れが一気に無くなります。

資格を取得し教壇に立つまでは長く感じる事もあると思いますが、みなさんも夢に向かって頑張ってください。

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