日本語教師体験談(スリランカ)

世界の日本語教師体験談

スリランカは現地語であるシンハラ語で「光り輝く島」という意味の小さな島国です。私がこの国に青年海外協力隊・日本語教育隊員と派遣された体験をお話しします。

どうしてスリランカ?


 どうしてスリランカ?と思う人も多いと思います。私もそれまでスリランカという国について全く知りませんでした。ただ、その前に中国で中高生日本語を教えていたので今度は違う国の中学生、高校生に日本語を教えてみたいと思ったこと、日本政府からの派遣である海外青年協力隊であれば両親も少しは安心して行かせてくれるだろうと思い応募を決めました。

さらに、一番の決め手はスリランカの募集は前任者がいない新規案件だったことです。活動をしていくうえで、どうしても前任者と比べられてしまったり、同じ方向性で進めなければならない状況が嫌でした。決められた道で活動するより自分で道を作るところから始めたかったので、どちらかといえば国ではなく自分が1代目として働きたいという思いでこの国を希望しました。


幸い海外青年協力隊は渡航前に2か月の語学訓練があり、現地の言葉(シンハラ語)は日常会話程度であれば困ることはありませんでしたし、日本語教育の他にも「障がい者支援」「小学校教育」など様々な職種の同期が一緒だったのでとても心強かったです。

日本語教師の仕事と生活について


私の主な仕事はスリランカのシンハラ語圏(スリランカではシンハラ語・タミル語と2つの公用語があります)の公立中学校・高校での日本語巡回授業です。
シンハラ語圏には約130校、高校・大学受験科目の外国語選択授業で日本語を勉強できる学校がありますが、それまで日本人教師が授業に入ったことは一度もありませんでした。

そこで私は2年間で約30校の学校へ行き、授業を通して現地教師への授業アドバイスや日本文化、行事のお手伝いといった活動を行いました。
スリランカの学校は7:30~13:30までです。10:30から先生や生徒は朝ごはんとしてお弁当を食べます。スリランカはカレー文化なのでお弁当もみんなほとんどカレーです。
食事は毎食基本カレーですがスリランカカレーは日本のカレーと違い、何種類ものカレーをを作り、それを一つの皿の中で混ぜて食べます。バターや小麦粉を使わず、スパイスやココナッツで作るのでヘルシーで胃が重たくなりません。それに色々な種類のカレーがあるので不思議と毎食でも飽きずにおいしく食べられるのです。

それでもカレーはもう嫌という人でも最近は首都にたくさん日本食レストランやファーストフード店ができているので安心してくださいね。注意するべきはお酒についてです。スリランカでは女性がお酒を飲むのは良くないこととされています。また、1か月に1回満月の日はポーヤ・デーと言ってお酒を飲んではいけない日がありどんなに外国人が多いレストランでもその日はアルコールを出すのは禁止されているのでお酒が好きな人は注意してください。


生活については、外国人観光客のように毎日レストランで食事をしてタクシーで移動していればあっという間に底をついてしまいますが、ローカルバスで移動し、近所の食堂でカレーを食べていれば問題なく生活できます。食堂のカレーは1食120ルピー(当時120円程)で食べられますし、ローカルバスは距離にもよりますが5kmで50ルピー(当時50円程)です。ただし、バスの中はスリや痴漢(色の白い日本人女性は狙われやすい)が多いのでかばんは絶対にチャックを閉めて前に掛けるなど注意してください。

苦労した点


私は巡回指導のため、まず受け入れてくれる先生や学校探しから始まりました。はじめの半年は学校へのツテもなく、見ず知らずの外国人を手放しで受け入れてくれる学校は少なかったです。それでも、授業をしていくうちに現地の先生が他の学校の先生に私を紹介してくれたり、SNSにアップしてくれたりして「私の学校にも来てください!」と直接依頼をもらえるようになりました。

そして泊まりがけで地方の学校へ行くこともありました。現地ではインフラがまだ安定せず、停電・断水の他にコピー機などの設備や教室すらなく、校庭で生徒が立ったまま授業をしている学校も少なくありません。そのため、少ない設備でも楽しく生徒が学べるアクティビティを盛り込んだ授業を実施し、私がいないときも現地の先生が真似しやすいような授業の工夫をしました。充実した毎日ではありましたが、南国ということもあり、スリランカ人は大らかであまり細かいことは気にしません。そのためか

時間にルーズで約束の時間に平気で遅れてきたり、ドタキャンしたりします。
それまで時間で動くTHE・日本人だった私ははじめはイライラしたり「どうして時間通りに来ないの?」と不満でした。しかし、「郷に入っては郷に従え」。不満を漏らすのではなく受け入れると決めてからはそんないい加減な人たちもかわいらしく見えるようになりました。

休日の過ごし方


休みの日は生徒や生徒の家族と海へ行ったり家で日本食パーティーをしたりスリランカの民族舞踊を習ったり、毎日毎日が刺激と楽しい思い出がいっぱいです。
国内旅行にもたくさん行きました。スリランカの国土は北海道ほどの面積しかありませんが世界遺産が8つもあり、海ではサーフィンやダイビングも楽しめます。

そうやって毎月少しづつ余ったお金を貯めて国内旅行をするのが当時の楽しみでした。スリランカの国土は北海道ほどの面積しかありませんが世界遺産が8つもあり、海ではサーフィンやダイビングも楽しめます。

また、夏休みなどの長期休みなどは全国の日本語の先生を集めて教え方セミナーを開催したりもしました。中にはガタガタのバスで片道9時間かけて来てくれる先生もいました。スリランカの先生たちは日本語への情熱は人一倍あり、私をいつも助けてくれました。

これから海外を目指す日本語教師の皆さんへ


私は現在日本国内で日本語を教えていますが、今の自分があるのは海外で教えた経験があるからだと思っています。
今はコロナウィルスの影響で海外への行き来が制限されている状況ですが、もし海外で日本語を教えたいと思っている方がいるなら、いつかチャンスが巡ってきたときに、ぜひそのチャンスに飛び込んでください。生まれた環境も文化も違う人々と関わることは大変ですが、あいうえおすら書けなかった生徒が少しずつ成長し、日本語で手紙をくれたときの感動や、一生懸命日本語で会話しようとしている姿を見ることは何にも代えがたい自分の財産になると思います。

スリランカ

スリランカ民主社会主義共和国(スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。首都はスリジャヤワルダナプラコッテ。

1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。人口は約2,167万人(2018年)である[2]。島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。

国の花は青睡蓮、国の石はブルーサファイア、国技はバレーボール[

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB

スリランカ 日本語学習者数

中等教育
 1979年にAレベル試験の選択科目に日本語が採用されたことにより、高校では学校教育(第二外国語・選択)に日本語が取り入れられるようになり、学習者、教育機関が増加した。2001年からは、Oレベル試験の選択科目にも採用された。

高等教育
 2016年10月現在、高等教育省管轄15大学の中で日本語が学べるのは、ケラニア大学(人文学部現代語学科)、サバラガムワ大学(社会科学言語学部言語学科)、ミヒンタレーのラジャラタ大学(2013年に日本語講座を開講)の3校である。その他にビックスー大学、ウーアベラッサ大学(観光学副専攻)、ブッディスト&パリ大学、コロンボ技術訓練短大、ゴール技術訓練短大の5校でも日本語教育が導入されている。大学院レベルでは、コロンボ大学大学院日本研究コースで日本語が教えられている。ケラニア大学及びサバラガムワ大学では、Aレベル試験で日本語を選択し、それに合格した学習者が継続して日本語を学ぶため、初級後半あるいは中級前半から学習を開始する。卒業時の日本語レベルは日本語能力試験N1(おもに日本留学経験者)からN2程度。しかしながら現状では、大学で日本語を学んでもそれを生かした就職は少なく、卒業後の対策が課題となっている。
 その他に、2013年3月にはキャンディのペラデニア大学にスリランカ日本研究センター(SLJSC:Sri Lanka Japan Study Center)が、2016年2月にはケラニア大学に日本学研究センター(RCJS:Research Centre for Japanese Studies)が設立された。なお、スリランカ日本研究センターでは2015年5月より6か月の日本語クラスが開講されている。

https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2016/srilanka.html

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