公私隔たり無く交流。中国石家荘で日本語教師

中国での外国人教師と台湾国立大学の顧問として

●応募の経緯ときっかけ(1)

大学生時代の時に、同じゼミに台湾の留学生さんと上海の留学生さんが居ました。当時、中華文化圏の方の良くしてくれた記憶が残り、父の会社を継いだ後も観光地である地元の千葉県鴨川市にある城西国際大学観光学部の大連外語学院・天津外語学院・国立高雄餐旅大学の学生さんたちと地元名士の方の取り計らいで交流があり、その後、台湾の国立高雄餐旅大学の応用日本語学科の顧問を地元の先輩と共に拝命しました。続けて後の勤務先の関係から山東省煙台国際公司の日本語講師や山西大学商務学院の日本語講師の招聘のお話など、中華文化圏に御縁があったようで、たまたま米国べインキャピタル資本参加の大江戸温泉物語という会社を退職する際に「かもめ」という転職サイトで米国カーライル社の資本参加の新世界教育集団 さくら日本語を見つけ応募したところ、面接の人事副部長と意気が合い決めました。赴任地は、中国の女媧と伏羲の祭祀台がある河北省石家荘市に決めました。(ちなみにかもめのスタッフは超親切)
なんととなく中国に呼ばれている気もしていたので違和感は特になく中国の神々が私を呼んでいる中国の軍師になるくらいの意気込みで出国しました(W)

●応募の経緯ときっかけ(2)

先ずは、本部のある上海にて日本人の研修の先生の指導を2週間ほど受けさせて頂き、石家荘校へ向かいました。校長代行の教務主任がとても性格が良い人で今でも敬意を持っています。北京からも校長先生・副校長先生もお見えになり、大変面倒を見てくれました。北京でも研修の期間を2回ほど設けて頂き研修の先生にも大変御世話になりました。管区長さんも良く視察されて管区の責任をお果たしになられていました。1年を過ぎて学校も手狭になり、新校舎へ引っ越しをして大きくなり、自分の役目(本部付き営業部長待遇)も終わったと思い、次の赴任地を目指しました。広西省南寧市への赴任かなと思いきや福建省厦門に決まり出発致しましたが折しもの千葉県を直撃した超大型台風の被害と契約期間満了の流れで台湾を経由して帰国しました。縁のある台湾の高雄市でも少しだけ旧友の私塾で講師をさせて頂きました。

●学校紹介や仕事内容

学校は、趣味の日本語と留学生対応の二つの階層に分かれていて、共に日本語の発話・聴解・文法とそして、営業的な公開授業や特別なVIP授業では、日本文化のサロンや専門的な学問やビジネスマナーなどの専門講座・日本社会の礼儀作法を行い、学園祭やカラオケ大会を学生さんと楽しみ、教職員同士も管区長や校長先生も一緒に和気あいあいと楽しくやっていました。
勤務時間は、平日は午後2時から夜9時までで、主任が気を使いながらもタイトなスケジュール編成となっており、土日は、朝10時から夜7時までした。
週休2日なのか週休1日なのかは選択することも可能でした。仕事の内容は、必ず絵プリントと学校テキストを使用し、一つの単元に対し、中国人教師と日本人教師で、予習・復習を実行しつつ、交互に文法・発話・聴解の理解を深めていくという感じで構成されています。ちなみに、授業の予習については、中国語が話せないのと、卒業学部が文学部等では無いので、注釈を作成したり、学生さんが共通して苦手な箇所を纏めたり、1年間はフルに忙しく帰宅してからも殆ど仕事漬けでした。

●語学は、必要?

結論から申し上げますと、必要だと思います。
授業だけならば、中学・高校で学習したはずの漢文・江戸時代くらいの古文・二文字単語などの知識が少しあれば1年くらいすれば、中国語の文章が読めるようになります。会話を中国人とのコミュニケーションとして捉えるならば必須だと思います。(私は会話が出来ませんでしたので大変苦労しました。)ですので、中国語がはなせればなぁと何回も何回も思いました。話せれば、初級の授業のおいて、学生さんに対しての指示語や理解・説明の手間が省け、格段に進行スピードが違ってきますし、学生さんのみならず、御父兄の方々、同僚職員、近所や街の人とも楽しく交流が出来ることと思います。また、文法や単語として表現する意味合いも違ってきますので、我々が日常で使用する日本語を外国語として、例えて言うなら日本語を英語の授業の様に教える感じとでもいいましょうか。そのように、教える必要があるようです。
そこには会話が必要だと思いました。また、感情や想像が関係するコミュニケーションに会話は不可欠です。

●こんなところが良かった。

校長以下、学校全職員と管区長もお見えになって毎月、食事会をしてカラオケに行ったりする機会があり、本当に楽しかったです。ああいう職場は現在の日本の企業では珍しくなっております。やめた方にも人情を持って何らかの関係性を保っているようです。学生さんたちと公私隔たり無く交流をして、実践的に学問だけに留まらず、お互いの色々なことを学べたと思います。また、仕事そのものが、公益性が高く、迷わず邁進し、若い学生さんの成長を感じました。やはり、仕事をして努力した結果、留学生については、日本でまた会えるというのも良かったです。また、ちょっと私事ですが、地元の方々や先生の御家族・学生さんの御家族にも良くして頂き、自身の家族関係や地元への感謝・偏狭ではない日本への情愛の念を教えてくれました。(これにはビックリしました)

●苦労したこと

会話が出来ないので、初級までの学生さんに、単語や文法を理解して貰うための指示の伝達に非常に気を使いました。生活では、taobaoというネット売買の設定や公共料金の料金の支払い・まとまった飲料水の確保・病院・歯科医院では、中々、困りましたが、主任や学生さんが解決してくれました。あとは、税金や健康保険証の問題なども良くわからず困惑しました。そこについては、上海本部が良く対応してくれました。というより、どこに行っても中国の方が良くしてくれたような気が致します。逆に、日本ではどうでしょうか?偏った報道のおかげで、中国の方に互恵の念で親切な気持ちを持って接しているでしょうか。自身を省みて外国人という立場は目に見えない心の複雑な気持ちが多いのだろうなと考えました。

あと、恥ずかしながら個人的な心の問題として、お互い大切に思いあう対象の方が出来れば、苦労も何も感じない生活になったかもしれません。多分、中国に居たかも知れません。(この問題については、当時、自然な形でいたのですが、気が付きませんでした。)

●休日の過ごし方や住居等

休日は、学校の授業の予習や注釈作成に追われ、更にスキャナーを使い、授業を行うごとに学生さんの日本語理解の難しい公約数的データとして積み重ねて保存していました。時々、学生さんと遊びに行く約束をして観光に連れて行って貰ったりもしていました。住居は、私はあまり裕福ではなかったので、1200~1400元くらいで、大家さんに大目に見て貰っていて良かったです。不動産屋さんや管理会社の方、近所の方達もとても親切でした。スーパーの方も良くしてくれて本当に良かったです。なお、御風呂が有れば、本当に良かったです。最初は、生活習慣の違いで、シャワーしかなかったので、一日中、御風呂に入りたいと30回/日位考えてました。これについては、近くにスパが有ったので良かったです。ちなみに、中国で環境問題ばかり言われていますが、空気も水(水に関しては硬水)も北京や天津に行っても割と良かったように思います。
日本も私の子供の時は、経済成長期で同じようなものでした。

●これから日本語教師を目指す方へ。

私個人のことに成りますが、学生さんに、『誠実』に接し、『熱心』に授業を教える事です。中国・台湾には、今では廃れつつある『学問』という言葉が残っているように感じました。内面的には、仕事と割り切らない公益活動と個人の『志』をたてたほうがモチベーションを保てるように思えました。実務としては、初級の学生さんとコミュニケーションを取るには、何度も言いますが、中国語の会話が必須だと思います。加えて、資格に基づいた文法などの理論的な知識と、その先生しか教えることが出来ないこととして1つくらいの専門的学問分野も必要かと思われます。そのほかに日本の文化的な料理などや中国語でのカラオケが出来ると、心的距離がグッと近くなります。ともかく人と人ですから、同じ目線も必要かなと思いました。あと、学生さんに自分の価値を他人と比べてではなく自己の確立によって深めるようにとも話していました。人間だから得意・不得意/優劣が有るのは当たり前だから気にするなと教えていました。やりがいのある職業ですが、海外での就労ですので、日本の税金・年金については、常に気を配る必要もありまするなと思いました。あとは、御家族・親戚・ご友人ともSNSなどを通じて良くコミュニケーションを図っていた方が良いとも思いました。

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