エチオピアで日本語教師

                      メケレ大学(エチオピア) 古崎陽子

エチオピアで日本語教師になったきっかけ


私は元々、日本語教育とは縁もゆかりもない生活をしていた。大学では数学を専攻し、卒業後はコンサルタントとして働いていた。高校時代のほとんどをアメリカで過ごしたこともあり、就職直後は上司に議事録の日本語をかなり直されたりもした。そんな畑違いの私がエチオピア・メケレに居を移し、日本語教師となったきっかけは、本当に偶然であった。

私とエチオピアとの関わりはまだ東京で働いていた2008年2月に遡る。当時勤めていた会社の社会貢献活動プログラムにより、VSOというイギリス系のNGOのボランティアとして、首都アディスアベバのNGOにマネジメント・アドバイザーとして派遣されたのだ。VSOはJICAと異なり、基本的に任地を選ぶことができないため、私がエチオピアを選んだというわけではなく、たまたまエチオピアに派遣されることになったに過ぎない。それまでアフリカのことをほとんど知らなかったため、任地がアディスアベバに決まった時は慌ててグーグルで検索し、意外と開けた町であることに安堵したことが懐かしい。

9ヶ月のボランティア活動では幸い非常に充実した日々を過ごすことができ、2008年11月末に活動を終え、日本に帰国しようとしていた。当時はまだエチオピア航空の成田便が就航していなかったので、旅程はタイのバンコク経由で、航空会社の違う乗り継ぎ便。しかしその時、タイのバンコクでは、デモ隊が空港を占拠し、空港が閉鎖されてしまっていた。そのため、便を翌日のインド経由のものに変更し、エチオピア滞在が一日延びることになった。

エチオピア滞在が延びたその翌朝。当時の大使が昼食に招待してくださるとのお電話を日本大使館からいただいた。大使館の方々は私の帰国予定日などご存知なかったはずなので、予定どおり帰国していたらこのお誘いは受けられないところであった。喜んで伺ったところ、その昼食会でメケレ大学の遺産保護学科の設立に関わり、同大学での日本語教育の開始にも携わった三宅理一教授(建築史)に初めてお会いした。昼食会では三宅教授の遺産保護関係のプロジェクトの話や、メケレ大学で日本語講座を開設したが講師が不足している話などを伺った。その時、大使が「あなた、この出会いで人生変わるかもしれないよ。」とおっしゃられたのを覚えているが、まさか本当に人生が変わるとは・・・。

結局日本へ帰国して2年もたたないうちにまたエチオピアで仕事がしたくなり三宅教授に連絡、2010年10月から現在に至るまで、メケレ大学で日本語講師や遺産保護に関わるプロジェクトや学会関連の仕事などをしている次第である。ポジションとしては、現地人給料の「講師」としてメケレ大学に直接雇われている。

なお、私は実は未だに日本語教師の正式な資格を持っていない。そもそも元々のモチベーションとしては「エチオピアで仕事をしたかった」というのが一番で、資格なしでも日本語講師として働けると言われたのでそれに飛びついたに過ぎない。日本語の教え方はエチオピアについてから前任者の方々(全員日本語教育の専門家でない日本人)が使っていた「みんなの日本語」の教え方の手引きを慌てて読んで学び、授業で使うハンドアウトを作り、自分が英語、フランス語、中国語などを日米の学校の授業で学んだ経験を総動員して授業を行った。そうして何とか教え始めてから日本語教育のやりがいや面白さに気づいていった。

日本語教育についてはその後、東アフリカ日本語教育会議のセミナーなどで少しずつ勉強する機会をいただいている。また日本語教育能力検定試験のための参考書を購入して読んだりもしているが、試験時期が大学の学期中であることもあり、まだ受験には至っていない。日本語教師歴はもう9年半になったが、まだまだ勉強中の身である。

メケレ大学の日本語講座概要


メケレ大学の日本語講座は2008年秋より「課外講座」として開講されている。エチオピアの大学には「一般教養科目」は存在せず、学生たちは各専攻で定められた科目のみを履修する仕組であるため、日本語講座を履修しても学生たちの取得単位にはならず、成績も成績表に記載されない。

このため、専門科目が忙しくなると日本語の勉強が続けられなくなる学生も出て来てしまうし、専門科目の補講などで学生が授業に参加できなくなってしまうこともある。一方で本当に学びたい学生だけが来ているので、楽しく授業ができる。日本語を学びたい友人にひっぱられて付き合いで来ているように見受けられる学生もいないわけではないが、そのような学生はレベルが進むにつれほとんどいなくなっていく。

教材としては、最初の120時間程度は「みんなの日本語1」と「ニュー・システムによる日本語」をベースにした自作プリント、その後の初級レベルは受講者の学習傾向や希望に併せて「Kanji Look and Learn」、「まるごと」、「みんなの日本語初級2」などから柔軟に選定している。初中級以降は「まるごと」、「中級へ行こう」、「中級を学ぼう」、「ビジネスケースで学ぶ日本語」などの他、JLPT 受験用の参考書なども使用している。

教員は私と私が育成した現地人講師の2名で、人数の多い初歩の2レベルを現地人講師に担当してもらい、私は人数の少ないそれ以上のレベルを担当している。私が担当するレベルは個人授業もかなり多く、コロナで大学が閉鎖される前は休日も含め1日6時間以上を授業に費やす日が多かった。

それでも学習者が少ない高いレベルの講座を行うのは、数が少なくても日本語をある程度自由に話せる学生を排出したいと考えているからである。高いレベルの学生が日本語で会話する様子は他の学生たちのモチベーションになるし、「きちんと日本語ができる学生を教育できている」という大学側に対するアピールにもつながると考えている。

JLPTは現在エチオピアでは受験できないが、N3以上の合格が見込める若干名の学生には、私が個人的に資金を提供してナイロビでJLPTを受験させている。これまでにN3合格者が4人、N2合格者が1人出ている。

講座の各レベルの位置づけとして、最初の3レベル(約90時間)は「日本と日本語に楽しく親しんでもらう期間」として聞く/話す機能を重視するようにしている。この期間の授業ではひらがなとカタカナの読みを教え、漢字も少々紹介はするが、試験もプリントもローマ字併記にしている。試験でローマ字のスペリングを細かく見ることもしていない。

4レベル目に「ここからは日本語エリートのための授業だ」と宣言し、語彙も一気に増やし、ひらがなとカタカナだけで書かれた試験を受けさせている。そして5レベル目から本格的に漢字の読みを勉強させ、試験への解答もひらがなとカタカナで行わせるようにしている。ほとんどの学習者は1レベルだけの受講で、初心者クラス1クラスの修了者は30名以上いることもある。

受講者数(1回以上授業に出たが、途中で脱落した学生を含む)はその倍以上になる。毎年1レベル以上(各学期ごとに1レベル修了可能)を修了する学生の数はだいたい70名程度である。

学生たちが日本語を勉強する理由と授業で心がけていること


日本企業もほとんどなく、在住日本人も数える程度であるメケレでなぜ学生たちが日本語を勉強したいと感じるのか。2012年と2017年にアンケートやインタビューで調査を行ったのだが、2012年時点では「日本または日本語に興味があった」といった理由がほとんどであった。学生たちは日本のポップカルチャーについてはあまり知らないようであったが、ソニーなどの日本の電化製品のいいイメージや、勤勉で礼儀正しい人たちだという漠然としたイメージに惹かれている学生、また単純に外国語の習得に興味があるという学生もいた。

成績優秀で「専門の勉強をしても時間が余ってしまって暇なので、たまたま広告を見かけた日本語講座に来てみた。そもそも広告を見るまで日本語が中国語と別の言語だということさえ知らなかった。」という学生もいた。

この学生が日本語を学び始めた2010年秋時点では課外講座の語学は日本語だけだったので、「何語でもいいから学んでみたい。」という学生も多かったようだ。ただ、複数学期学習し続けた学生たちは、次第に日本留学などを目指すようになっていく模様であった。

一方、2017年には最初から日本留学や日本就職を目指して学習を始める学生が大きく増えていた。これは2012年春に開講した中国語の課外講座が、中国語の学習により得られる就職や留学の機会を前面に出して講座を宣伝していることによる影響だと思われる。

ただ、日本については中国語のような機会は非常に少ないため、学生たちの期待値のコントロールを心がけている。しかし専門の勉強の傍ら日本語もある程度のレベルに達する学生たちは学業も優秀な学生が多いため、このような学生たちが日本留学を希望する際は全力でサポートするようにしている。

現在日本語講座の過去の履修生4人が日本に国費留学中で、コロナの状況次第ではあるが、今年度中にあと3名が渡航予定である。就職やアルバイトの機会については「まったくゼロ」の状態が続いていたが、2019年夏より日本企業によるプロジェクトの通訳としてN2及びN3レベルの学生と現地人講師が活躍する機会が何回かあり、感慨深いものがあった。

日本語力を活用した就職機会があまりない地域での海外の日本語学習者というと、アニメ好きが多いという印象を持つ人もいるかもしれない。しかしエチオピアへのアニメの浸透は他のアフリカ諸国に比べても遅れているようで、エチオピアでアニメ好きが嵩じて日本語を学び始める学生がぽつぽつ出て来たのはせいぜいここ2、3年ぐらいのことである。

私は日本にいる時はアニメと言えばジブリの映画ぐらいしか見たことがなかったのだが、学生たちに「デスノート」、「鬼滅の刃」、「僕だけがいない街」などのアニメを紹介されて、遅まきながらアニメの面白さを知ることができた。

アニメ好き学生からアニメを知らなかった学生へと、一部の学生たちの間でもアニメは徐々に広まりつつあるようだ。2010年の着任当初の学生に「アニメを見ても人だという感じがしないから、あまり感情移入できない。」と言われたこともあったのに比べると、急速に変わって来ている。

何年か後には現在の韓国語課外講座にK-popや韓国ドラマ好きの学生が集まっているような感じで、日本語講座の受講者もアニメ好きの学生が中心となるかもしれない。

そんなメケレ大学の日本語講座で私が心がけているのは、「日本語講座が、少しでも学生たちの世界を広げ、考え方の引き出しを増やす一助となってほしい。」ということである。ここで世界というのは、日本人の友人、異なる物の考え方や知らない食べ物、新しい学習方法など多岐に渡る。

村出身の学生は地方によっては魚さえ食べたことがないということも少なくないし、キリスト教とイスラム教以外の宗教が存在することを知らない学生も多い。エチオピアは内陸国なので、特にキリスト教徒にとってエビやカニはグロテスクで、シーフード料理の写真はホラーでしかない。また私とエチオピアの外国語教師とでは教え方も違うらしく、講座を受講したエチオピア人英語教師は私の教え方に刺激を受けたと言ってくれた。外国人と接した経験がほとんどない学生もおり、私がキャンパスを早足でまっすぐ歩く様子に刺激を受ける学生もいるようだ。

エチオピアは多民族国家ではあるが一緒に生活を営むコミュニティの中では民族もほぼ単一であることが多く、旅行や地域を超えた移動もあまり一般的ではないため、大都市出身者以外は各コミュニティの中の常識以外の世界を知る機会が少ない。学業も11年生(高校2年生)から文系と理系に完全に別れ、大学でも同じ専攻の人たちと一緒にひたすら専門の勉強をするので、自分の専門以外のことを学ぶ機会は少ない。

しかし働き始めてから専門以外の知識を学ぶ必要があることも多いであろうし、外国人と接することもあるかもしれない。大学生の時に専門外のことをエチオピア風ではない教育方法で学んで「学び方」の引き出しを増やし、エチオピアとは違う習慣や考え方に触れた経験が、卒業生たちが働き始めた後に役に立つことを願ってやまない。ちなみにエチオピアで働く日々は何年たっても驚きの連続で、こちらの世界も広がりまくっている気がする。

日本語講座関連のイベントと非公式の旅行者との交流会


メケレ大学の日本語講座では毎年「日本文化祭」、「日本語弁論大会」、及び「日本語講座卒業(修了)式」を在エチオピア日本国大使館の協力を得て開催している。日本文化祭では日本語カラオケコンテストや書道コンテスト、メケレの空手クラブの協力を得て空手デモンストレーションなどを行っている。

日本文化祭空手デモ

2018年に着任された現在の大使は日本語講座に非常に協力的で、このようなイベントの際に折に触れてメケレまで足を運んでいただいている。2019年12月の日本文化祭では、なんと三線と歌まで披露していただいた。大使がいらっしゃるということで地元のラジオやテレビ局も来てくれ、カラオケコンテストで優勝した学生が歌う「愛しのエリー」がラジオで流されたりもしたようだ。

メケレ在住の日本人は私と青年海外協力隊の隊員たちぐらいで、私が来てから一番多かった時でも10名に満たない。一方、メケレは「ゲラルタ岩窟教会群」や「ダナキル砂漠とエルターレ火山」のような観光地への拠点となっているため、時折日本人旅行者が訪れる。私はメケレ在住の数少ない日本人ということで、そのような旅行者にインターネットなどを通じて相談を受けることもある。

学生たちが日本語を使ったり日本人と接したりする機会を少しでも増やすため、メケレを訪れる予定の日本人旅行者からコンタクトがあった場合は、旅行者の希望に応じて日本語が上手な学生に街を案内させたり、メケレで一泊する夜に旅行者を囲んでエチオピア料理を食べる会を開いたりということも心がけている。

メケレ生活で大変なこと


メケレ生活で困るのは断水、停電、ネットの遅さ、トイレ問題である。ただし断水についてはメケレの中でもかなり差があり、私の経験ではメケレの中でも坂の下など比較的低地にある家は断水が少ないようだ。私の家もそんなところにあり、断水は頻繁ではあるが、家に備え付けられている水道につながっている水タンクの貯水で大抵持ちこたえられる。ダメな場合に備えて家の中に貯水用の水瓶も用意しているので完全に水が切れることはほぼない。

ただし一度、工事の影響で3週間断水したことがあり、その時は在住7年目にして初めて20リットルのポリタンクを背負って、家から300m程度のところにある井戸に水を汲みに行ったりした。水汲みは特に慣れない人には重労働で、週3回来てくれているメイドさんが何回も代わりに行ってくれて非常に助かった。停電とネットの遅さについては、もう諦めるしかない。エチオピアは主に水力発電なのだが、2019年の5月頃には水不足の影響で発電量が不十分になり、毎日日中の6時間が計画停電となっていた。ある地域は午前8時から午後2時まで停電。別の地域は午後2時から午後8時まで停電。そして午後8時から翌朝8時まではどの地域も電気が使えるようになっていた。これが1ヶ月以上続いた。

ここまで来ると「停電が日常」と考えて慣れるしかない。幸い1つのキャンパスの中でも停電の時間帯が違ったりしていたので、夜間の個人授業は日本語LL教室と私の事務所のうち電気がある方を使うなどして、意外に停電の影響を受けずに行うことができた。

学生とは「東京は、今日は雨です。」「そうですか。メケレは、今日はいい天気です。」というダイアローグを改変して「メケレは、今日も停電です。」「そうですか。アディスアベバは、今日は電気があります。」としたり、映画「リング」の貞子は停電でもテレビから出てくることができるのかを議論したりして楽しんだ。

インターネットは治安が不安定だったり要人が訪問するなどしてテロの危険性があると政府が判断した時だけでなく、「統一卒業試験のカンニング防止のため」といった日本人からすると信じられない理由で、場合によっては複数日にわたって遮断されたりする。また、回線速度も遅く回線が切れることも多いため、コロナ禍で大学が閉鎖されてもなかなか「ネットで遠隔授業をしよう」というわけにはいかない。

トイレ問題は、何年いても慣れない。エチオピア人は実はきれい好きな人が多く、大学講師の家のリビングルームはホテルのように整理されていて床もピカピカに磨かれていることが多かったりもする。(リビングルームのきれいさには、ある程度以上のお金持ちの間の競争原理のようなものも影響しているらしいが。)

そんなエチオピア人なのに、汚いトイレを許容できるのはまったく理解できないのだが・・・。また、水回り工事の費用を削減するためかトイレ自体が設置されていない建物も多いため、そもそもトイレに行くのに歩いて5分以上かかることも多い。

私の場合、大学のトイレを極力使わなくてすむように、一日のスケジュールを考えて「トイレ計画」を練っている。具体的には家でできる仕事は家で行い、近隣の高級ホテルのトイレに行く時間を考えて授業をスケジュールしている。(高級ホテルのトイレは基本的に安心して使用できる。)

なお、メケレにも大学病院を含む病院やヨーロッパなどから輸入された薬も買える薬局、歯医者などがあるが、幸いにも私はほとんどお世話になったことがない。エチオピアのような途上国の特に地方都市で日本語講師として働くのであれば、健康管理には十分気をつける必要があるであろう。

エチオピアやアフリカで日本語を教えてみたい方は


エチオピアを含むアフリカで日本語教師となるためのハードルは、実は高い。エチオピアを含むアフリカの大学では教員の雇用に関して「博士号以上」の条件があるところが多い。エチオピアの場合は博士号がなくても外国人の雇用はできなくはないのだが、給料がエチオピア人と同等になってしまい、エチオピア人の独身教員と同じような生活レベル(占有一部屋でトイレ、シャワーは共同の賃貸、シャワーは水のみ、食べ物はエチオピア料理のみ)にしない限りは、貯金を切り崩す生活となってしまう。

またエチオピアの場合は、慢性的な外貨不足により外国人教員の雇用自体に厳しい制限がかかることもある。私の場合は日本語講師としてメケレ大学に雇用され続けているのだが、大規模学会運営とそのためのウェブ管理システム開発など、前職の経験を活かした日本語教育以外の貢献をすることも求められている。

サブサハラアフリカで日本語教師をしている日本人は青年海外協力隊がほとんどで、それに加えて現地人と結婚している日本人や私のように個人で現地機関と直接契約して来ている人、ICEAという日本のNGOを通じて来ている人などがそれぞれ若干名いる程度である。今のところ、日本に住んでいる人がサブサハラアフリカで日本語を教えたい場合は、青年海外協力隊もしくはICEAのボランティアに応募するのが最も手っ取り早いと思う。

ただ、特例的に直接雇用の日本語教師の募集がある場合もあるかもしれないので、現地機関の直接雇用で日本語講師をしたいという方は「エチオピア日本語教師会 (JLTAE)」のサイトなどから連絡していただければと思う(ただし、あまり期待せずに)。私が会長を務めているエチオピア日本語教師会では2019年9月に「第1回アフリカ日本語教育会議」を主催したこともあり、サブサハラアフリカ各国の日本語教育機関とある程度連絡を取ることができる。

なお、サブサハラアフリカやエチオピアでの日本語教育についてもっと知りたい方は、下記のサイトや論文などを参考にしていただければ幸いである。

・エチオピア日本語教師会 (JLTAE): http://www.jltae.ml/

・ 東アフリカ日本語教育「東アフリカ日本語教育会議」の論集

・ ケニア日本語教師会フェイスブックページ

・ エチオピアの日本語人材に関する現状と日本語教育が日本企業の投資活性化に果たせる役割 (ヨーロッパ日本語教育23)

メケレ

Mek’ele (ティグリニャ語:መቐለ/Mäq’älä)(アムハラ語:መቀሌ/Mäqälle)は、エチオピア北部のティグレ州の州都。 首都アディスアベバから約780km北に位置する。 面積は54.44km2で、2015年の人口は32万3700人。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%AB

エチオピア日本語学習者数

エチオピアにおける日本語教育の歴史は極めて浅く、2008年10月メケレ大学で開設された日本語講座が最初である。当地で研究活動をしている日本人教授の個人的な繋がりにより講座が開講された。開講された当初は修了者10名程度の小さな講座であったが、その後受講者が増え、2010年10月以降は、毎年150人程度の修了者を出している。2012年9月からはメケレ大学附属コミュニティースクール(初等教育)でも日本語講座が開講された。2011年1月以降、毎年、ジャパン・カルチャー・デーというイベントをメケレ大学及びメケレ大学附属コミュニティースクールで開いたり、弁論大会を大学内で開催したりしている。

https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2014/ethiopia.html
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