フィリピンの学校で日本語教師をしたきっかけ
日本にて義務教育を修了後、私はフィリピンへ移住しました。
2018年6月、現地の高校卒業後に現地の大学へ入学した私は、同高校の先生にスカウトされました。これをきっかけに私は面接を受け合格。
当時はまだ大学入りたての一年生で、学部は経営学部でしたが、私はこの仕事を引き受けました。
学校紹介や仕事内容
私の卒業高校、及び勤務地は国際学校でした。
名前はLiving Stone International School。開校当時の生徒数は20人でしたが、わずか十数年で400人以上の生徒を抱えるまでになった学校です。
Jesus first, Others second, Yourself third(一にイエス様、二に他人、三に自分)という校訓のもとに、生徒は今も助け合いながら勉強しています。
国際学校の名の通り、生徒の中には外国出身の子もいます。韓国人、アメリカ人、スペイン人やアラブ人など、国籍はさまざまです。
私はここで、Grade 9(日本でいう中学三年生)の生徒を担当しました。
業務内容は大きく分けて、教案作成、授業指導、成績データ提出の3つでした。
現地の言語は必要?
現地の言語(タガログ語、パンパンガ語)はずばり、必要ありません。
フィリピンでは、英語とタガログ語が公用語として使われています。私の勤務地方であるアンヘレスはパンパンガ語などの方言もあります。
しかし基本的に、日本語教師を雇う学校などでは英語を話せれば充分です。
必要な英語レベルは、中学までの英単語や文法を覚え、挨拶や5W1H(六何の原則)ができるレベルでしょう。
驚く方もいるかもしれません。しかし特に重要なのは英語というよりも、”英会話”です。なんとしても伝える精神、絶対に伝わるという自信が最重要です。
私の好きな芸能人に出川哲郎さんがいます。彼がとある番組ロケで見せた”出川イングリッシュ”は大変参考になります。
あれくらいの姿勢は、言語習得者にとって重要です。それは言語を教える立場としても例外ではありません。
とはいえ、ここフィリピンでは基本的に間接法(他言語で日本語を教える方法)です。日本にある日本語学校などでは直説法(日本語で日本語を教える方法)もありますが、主語、述語、修飾語や、母音子音の英訳くらいは調べておくと良いでしょう。指導の役に立つはずです。
こんなところがよかった
・生徒達には勉強熱心な子もいました。特に日本のアニメや映画を好きな子達は、授業に対するモチベーションが段違いに高かったです。ほっといても言語を習得するのでは、と思う程に予習復習をしていました。
・私の勤務校は、時間管理がルーズだと言われているフィリピン文化にしては珍しく、とにかく時間に厳しかったです。朝礼の開始時刻から、授業開始と終了時刻まで徹底して守られており、まさに国際基準に倣っている国際学校でした。日本で義務教育を終えた私からみても厳しすぎると思った時もありましたが、今思えばこの時間に対する意識は、これから世界に羽ばたくフィリピン人に必要なのだと思いました。
日本語教師で苦労したこと
・私の授業はマンツーマンではなく、複数生徒を同時に指導するものでした。人数は一クラスあたり約20人。中には授業についてこれない生徒もいて、限りがある授業時間のなか、個人個人への対応に追われることもありました。
・教案に関してはワードを使い、授業ではパワーポイント、成績データはエクセルで提出しました。当然、不明な点や確認事項に伴い報連相は増えます。念のための確認と言う形だとしても、時に私からの質問が上司にとって煩わしく感じられる事もあったようです。追い討ちをかけるようにネット回線の不調、停電による作業停滞もありました。
フィリピンでの休日の過ごし方
私が日本語教師として勤務していたときは実家が拠点だったため、小旅行というよりアンヘレス近辺にて過ごしていました。
SMモールでのイベントの様子です。この時は日本のアニメなどのコスプレ大会がありました。観客は握手を交わしたり、撮影をしたりと大盛り上がりでした。光る仕掛けが胸にあるアイアンマンのコスプレが一番の人気でした。
アンヘレス、国道であるマッカーサーハイウェイにて。
年に一度のお祭りの様子です。名前はTTKD(Tigtigan Terakan Keng Dalan)。
フィリピン現地の有名なバンド達が路上で歌ったり踊ったりします。フィリピンのお祭りの中でも有名なもので、観客の中には首都圏から訪れる方もいます。
ウォーキングストリート近くのペントハウスにて。
繁華街にあるホテルの一つ、ペントハウス屋上での食事です。クラブハウスサンドに飲み物を足して1,000円ほどです。そして1,000円以上の利用客は、屋上にあるプールを無料で使用できます。
ペントハウス屋上からのアンヘレス
ホテルやクラーク国際空港、教会やデパート、山々や川沿いの住宅街が見渡せます。
フィリピンでの生活
自分はフィリピン移住以降、実家住みでした。住宅街の中に位置しているので、治安は比較的良かったです。レストランやバー、公園と周りにある駄菓子屋でいつも賑わっています。
☆現地おすすめグルメ(写真等)
支払う値段によって食事もさまざまですが、どの価格帯にも美味しいものがあります。
これは北海道は旭川に本店を置くラーメンチェーン、山頭火の食事です。とんかつラーメン定食にたこやきで約1,500円です。
こちらは、フィリピンではマクドナルドよりも人気と言われてるハンバーガーチェーン、ジョリビーの食事です。ハンバーガーだけでなくフライドチキンのセットも人気です。お値段約250円。
こちらは勤務地近くにある、私がよく通っていた食堂の食事です。ご飯にホットドッグ、そして飲み物などを頼んでました。帰りに駄菓子やコーラを買うこともあります。
これから海外で日本語教師を目指すみんなへ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
・中学生までは、なりたい職業などありませんでした。
高校生になり、現地のフィリピン人や外国人生徒との交流を深め、日本とフィリピンのハーフとして日比を繋げるような仕事に携わりたいと思いました。その内の一つが日本語教師でした。
この時代、日本もグローバル化社会と言われています。私の日本語教育が、時代の波に乗り、フィリピンからチャンスを掴みに日本へ羽ばたく人たちの助けになれば幸いです。それと同時に、この記事が日本からフィリピンへ羽ばたく人たちの一助になれば幸いです。
・日本語教師としての新たなスキル。
コロナの状況により、この記事中のような教室での日本語教育は厳しくなるでしょう。コロナが原因で、日本語教科は私の雇用学校の優先事項から一時外されてしまいました。しかし、オンライン教師という形で再度教鞭を取る事が検討されています。テクノロジーの取り扱い経験は、あらゆる職業で必須スキルになってまいりました。それは日本語教師も例外ではないのかもしれません。