〇きっかけ
インドでの暮らしが半年ほど経ち、マイソールでの生活にも慣れてきたころ、Mumbai本社のの副社長がマイソールにやってきました。
オーナーとのトラブルがあり、アパートを転居したため、新しいアパートをみたいとのこと。
その日は、副社長とマイソール支社長と三人で夕食に行きました。
最初は「マイソールにも慣れましたか?」なんて世間話をしていましたが、
副社長から突然、「マイソール支社は閉鎖になるので、Ahemedabad支社に行ってほしい」と。
Ahemedabadにも日本人の女性の日本語教師がいるが、彼女が退職するという。
そればかりか、マイソール支社長も退職するため、後任者がおらず閉鎖を決めたとのことでした。
一人だったら少し不安でしたが、今の教え子の半分はMumbai本社へ、残り半分は私と一緒にAhemedabadに行くというので、二つ返事でOKした。
〇学校紹介、仕事内容
転勤ですので仕事内容自体は変わらず、IT企業内での日本語教師です。
前任の先生が「JLPTまでは責任を持つ」とのことで、30人ほどに増えた学生を一人で受け持つということはなく、私と一緒にAhemedabad入りした10名の授業にSkypeでMumbai本社に分かれた10名が参加する形式で始まりました。前任の先生とも1か月ほど一緒に働かせていただき、久しぶりに日本人と日本語を話すことができ、よかったです。
彼女はAhemedabadに4年ほど住んでいたので、休日は買い物や食事にも連れて行ってくださいました。
〇現地の言語は必要か?
Ahemedabad自体はグジュラート語で、インドで有名なヒンディー語とも似ていることもあり、マイソール以上に英語を話せる人が少ないのには困りました。
そして同じインド国内であるにも関わらず、インドの言語は文字も異なるのでマイソールでカンナダ語がわかりかけたところだったのに、全く役に立ちませんでした。一緒に行ったマイソールからの学生もヒンディー語ができない子は苦労していたようです。
〇こんなところよかった。
Ahemedabadという街はインドでもさほど5本の指にも入らないような街ですが、インドの父ガンディーの出身地であり、現首相モディさんのお膝元でもあることから、町の開発が非常に進んでいました。
交差点には信号が整備され、街には警察官も多くおり乱暴な運転のキシャを取り締まっていました。私が住んでいたときは地下鉄の工事が佳境に入っており、その年に安倍首相が訪問し、新幹線の開通に向け日本が協力するという話がまとまりました。
また、この町はDry state(禁酒州)でしたので、マイソールのように昼間っから酔っ払いが路上で寝ているようなこともありません。
ここは古くからの商業の町であることもあり、日本企業も多く進出しているので、街中でたまに日本人をみかけることもありました。
あとヒンドゥー教でナブラトリ(9つの夜)という9日間毎晩踊るという盆踊りのようなお祭りがあり、地元の学生に連れて行ってもらいましたが、とても楽しかったです。
ナプラトリ ナプラトリ
〇苦労したこと
禁酒。元々お酒好きな私。まずこの町では普通にお酒が売られていないので、基本的にはお酒を飲むことはできません。
しかしながら、旅行者や私のような外国人は、申請をすると「liquor permission」が発行され、ホテルの奥にある怪しい酒屋で毎月決められた本数お酒を買うことができました。
配給のようなものです。でもお酒の種類は豊富でアサヒスーパードライも売っていました。高すぎるので買いませんでしたが。。。
また、この町は貧富の差が激しく、高級外車が行きかい、ブランドショップも立ち並ぶ銀座のような街ですが、信号待ちで車が停まるとどこからともなく、小学生くらいの子供が出てきてビニールの人形(なぜか筋肉マンに似てた)ややたら長いボールペンなどを持って売りに来るのです。
タクシーなら、窓を開けなければいいですが、リキシャだと腕を目の前に差し出してきます。そして信号が変わると蜘蛛の子を散らすようにきえていくのです。
また物売りだけではなく、歩いているとまだ物売りができないような幼児や赤ちゃんを抱いた女の人が寄ってきて、手で口に食べ物を持っていく仕草をしてお金をねだります。これがかなりしつこい。
子供だとかわいそうだと思いますが、学生によると裏で親が操っていて、親たちは自分たちが楽をするために子供に物乞いをさせているケースもあるようです。
一度あげると癖になるので、一切聞く耳を持たず通り過ぎました。
あと、この町はアンダーパスの道路が多く、雨が降ると冠水してしまい、身動きが取れなくなることも多かったです。
あとAhmedabadはインドでも一番熱いと言われている町で、5月~7月くらいまでの夏の時期は最高気温が50℃近くなることも多く、日中は外には人がほとんどいませんでした。
〇休日の過ごし方
マイソール時代同様、学生たちと買い物にいったり、食事会をしたりしていました。
この町では職場が家から少し離れていたので、通勤にリキシャを利用しており、その仲良くなった運転手さんに頼んで、ガンディーさんの生家や昔の井戸など名所に案内してもらいました。
ガンディーさん生家 ガンディーさん像
ダーダハリの階段井戸
アフマダーバード(英語: Ahmadabad)はインド西部、グジャラート州の主要都市。
2011年の都市的地域の人口は635万人であり、世界第47位、同国では第7位である[1][2]。農業、綿織物業が盛ん。イスラーム教徒が比較的多く(住民の2割程度)、多くのモスクが建てられている。ジャイナ教の寺院も多い。近代的な都市で郊外に工場が多く、経済的には恵まれている。2017年に世界遺産リストに登録された[3]。
アフマダーバード周辺には階段井戸(バーオリー)が多く見られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89
日系企業29社、300拠点が進出-関心高まるグジャラート州の現状
モディ首相のお膝元、投資誘致を推進
グジャラート州には、日系企業29社(本社、本店など)、300拠点(工場、支店、営業所など。本社、本店も含む)が進出している。モディ首相の出身州でもあり、同氏が州首相時代にインフラ整備や投資誘致を推進した。インドの乗用車シェアで40%超を握る業界トップのスズキは同州に単独資本で新たな大規模生産工場を稼働させ、ホンダ(二輪)、フォード、タタなどのメーカーも同地に進出している。今後、周辺地域へのサプライヤーの進出や集積が予想される。また、州最大の都市アーメダバードとマハラシュトラ州ムンバイとの間に日本の新幹線方式を採用した高速鉄道が建設される予定で、沿線の開発が進み、新たなビジネスチャンスとなることが期待される。ジェトロはアーメダバードに事務所を新設
この流れを受け、ジェトロは2017年11月にアーメダバードに事務所を開設する。同事務所には、日本企業の進出準備の用途に供する貸しオフィスであるビジネス・サポートセンター(BSC)も設置する。BSCは、各企業の個室にデスク、インターネット回線、プリンターなどが備えられており、常駐するアドバイザーが相談に応じ、総合的に進出を支援する。また、インドへの企業進出を日本国内で幅広く支援するため、ジェトロは東京、大阪、名古屋、横浜に相談、情報提供、商談支援機能を持つ「インドデスク」を設けることも決定した。新たな輸出ハブとしての成長に期待
ジェトロは2017年7月、グジャラート州のJ・N・シン首席次官、M・K・ダス工業次官、D・タラ同州産業開発公社(GIDC)副会長兼社長を日本に招き、東京、大阪、名古屋、浜松の4都市で投資誘致セミナーを開催。各地で進出関心企業との個別面談をアレンジした。セミナー参加者数の合計は500人以上で、同州への高い関心を示す結果となった。シン首席次官は「わが州は、インドで最も都市化が進むエリアだ。面積はインド全体の6%、人口は5%だが、国全体のGDPへの貢献度は8%、輸出では20%以上を誇る。何よりインフラの整備状況が他州よりも優れており、技能人材も豊富だ」と述べた。また、インドの西端に位置する同州は、長い海岸線を有し、ムンドラ、ピパバブといった主要港を有する。同氏は「グジャラートに進出すれば、国内市場向け機能のみならず、輸出向けの製造ハブとしても活用できる」と強調した。この地の利を生かし、欧州や中東・アフリカへの輸出拠点としても期待されている。ダス工業次官は同州に流入する外国直接投資額について、「この3年間で4倍に拡大した」とし、自動車だけでなく、製薬、繊維、エンジニアリング、食品加工といった分野でもビジネス機会があることを説明した。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2017/10/9694637bdc885e59.html